終着駅

私は書くことが嫌いだ。

いや嫌いだった。

ちょっとタイム。好きだったかな。

いや、よくわからない。

てな訳で、前回に引き続き「モーレスキン」のお話。

前回の私は自分に問いを向けてしまった。

何故割高に思えるノートを買うのか?。と

我ながら、恨むばかりである。

だって、誰が高い買い物をした人の言い訳なんて聞きたい?

だから、今回は宣言してから書きます。

これは言い訳の文章です。

読むのが苦痛になったら、どしどしスクロールしてください。

てな訳で始めます。

こんな始め方をしてしまったら、コストパフォーマンスとかについては触れるわけにはいかない。

正当な言い訳はしたくない気がするんですよ。

そしてもう一つ理由がある。

それは「高ければ高いほどこのノートがほしくなったかもしれない」とも考えているからだ。

昔、同じ化粧品を一万円と千円で売ったら、一万円の方が売れたという話を聞いたことがある。

それは、高い方がきっと効きそうな気がするからだろう。

私も同じだ。

高いノートの方が効きそうなのだ。効きそうとはいかなることか?

書くというのは、私が書きたくて書くものという気がするが、逆も十分にありうることだと考えている。

つまり、ノートがあるから書きたくなるのだ。と

その書かせる磁力を求めて買ったような気がする。

裏を返せば「高めのノートでも買わないと、使わないんだよなあ、俺は。」と思っているのだ。

だから、高めのノートにお金を使うってことは、ノートそのものではなくて、ノートを使っているであろう未来の自分を買っているのである。

わかりにくくてすみません。

つまり、ノートに書かされる自分が、いつかは自発的に書きたいとする過程におカネを払っているのだ。

もしかしたら、普通の相場より高いものに、その人の求めるセルフイメージみたいなものが投影されているかも。

長い長い言い訳でしたが、読んでくださって本当にありがとうございました。

それでは。