テストの余白に
はあ。やっとテストが終わった。大変だった。
でも、そんなこというと「学生のテストなんて所詮一夜漬けだろ?」なんて声が飛んできそうだ。
今回は、声を大にして言う。
死にそうになる。間違いなく。
三日徹夜なんてざらだ。本当につらい。
しかも、寝てないと寒さを三倍に感じるのだ。本当にここは東京なのか?
さあ、本題はここからだ。
じゃあ、常日頃から勉強していればいいじゃないかって声にどう答えるかが問題なのだ。
まず、すいません。としか言いようがない。
だってそのその通りだ。そうすれば、友達に何杯もラーメンをおごらなくてもいいし、テスト前日の「久しぶり!でさ、明日どこでんの?」という間抜けな電話代も浮くのである。
さらに、手をすり合わせる行為と背骨を曲げ相手に誠意を見せる仕草の肉体的疲労も馬鹿にできない。
そして、聞いた的がはずれて、その友達に文句を言って怒りを買い、肩パンされる肩のダメージもなくなる。
まさに万々歳!!viva freedom!!
よし。そんな自業自得。とは綺麗におさらばだ!
とは問屋がおろさないのは、本当に困ってしまうところだ。
あのスリルはたまらないのだ。私にとってテストとはある種、賭けに近い。またの名を山をはる。
勘と情報から導かれた、あの賭けがはずれるかはずれないか。
パラリ。テスト用紙がめくれた瞬間に勝負は80%決している。勝てば、静かに微笑みペンを走らせる。そして悠々と教室を後にし、友人に「まあ、むずかったけど、なんとかくらいついたわ」とかなんとか訳の分からない言葉を口走る。
そして、賭けに負けたときがたまらない。全然わからない状態から、いかにそれっぽく答えていくかという所を正に80分間問われ続けるのだ。本当の醍醐味はここにある。ない頭をフル動員し、なんとか文章に仕立てあげ、何となく意味の分かるものにする。そして、よろよろと教室をでて「まあ、魂込めて書いたから、単位はくるよ」とまたも訳の分からないことを自分に呟く。
どうやら、最近この賭けの勝率が上がっている。その出そうだなという臭いがわかるようになってしまったのだ。刑事ドラマで「こいつは臭うな」という台詞を私は全面的に支持する。ほんとうに、分かるんだから。経験をなめてはいけない。
それに関して、少し寂しい気もしている。あんなスリリングな80分はそうそうない。
あの肩パンが懐かしく思われる。まあ、もう一回は勘弁だけど。
でも、一番の問題は、この賭けの勝率の上昇と単位の取得率は比例関係にはないことだ。ゆゆしき問題だ。
今までとは比べモノにならない、もうスリルではないデンジャーは、正に今私の目前に迫っている。
何を問われることになるのやら。