POST ENATU
『江夏の二十一球』というフレーズをご存じだろうか。
79年の日本シリーズで広島のクローザー、江夏豊が投じた9回の投球数からきた言葉である。
あまりに劇的なことから、この名がついている。たしか、最初に言い出したのは『スローカーブを、もう一球』の山際淳司氏だと記憶しているが定かではない。
この特集番組を先日、NHKで再放送していて、食い入るようにしてみた。
そのマウンドには、投球の駆け引き、プライド、立場。そんな多くの要素が絡み合っていた。
そして、その江夏の大事な投球は、すべてボール球であったことに驚いた。
スクイズへのウェストボール。ウィニングショット(最近聞かない言葉だな)のカーブ。
んー。気付いてしまった。今までのすごい投手の場面というのは、ボール球であったことに。
ストライクよりもボールのほうが劇的になりうる。
高校時代の江川卓、雨の日の押し出し。松坂の155キロデビュー。大魔神佐々木のフォーク(ウィニングショットの方)は、ボール球である。
新庄はウェストボールをサヨナラヒットにした。
そして、長島茂雄はここぞの場面で、大根切りにより、ありえないボール球をたたいた。
それなのに、長島は次の打席でど真ん中を見逃して、悔しがっているのだという。
マウンドで笑ったと語るのは、前出の江夏である。
問題は、ストライクという枠に収まらないことだ。
ボール球でも、振らせればストライクなのであると・・・。
最近、世の中のいろんなものが、ストライクを意識しすぎているような気がするのだ。(ここから野球の話ではなくなる)
視聴率、ニーズ、アクセスカウンター。費用対効果、コストパフォーマンス。
もちろん、ビジネスなんだからそんな悠長なことは言ってられないのかもしれない。
ただ、思わずボール球を振ってしまうことがなくなっているのではないか。
ストライクを意識するあまり、腕が振れてないのではないか。
分かっている。こんな文章がクレームであることは。
そして、ピッチャーの経験もなくこれを書くことは、自分をそのクレーム対象に含むことができてないことも。
一言でいえば、ただの文句だ。
ただ、一人のバッターとして、いや、一人のユーザーとして投げる側には“面白い”を信じてほしいだけだ。
そして、教えてほしいのだ。こんなおもろいもんがあんのか!とね。
市場のストライクは、刻々と変化している。
確かに、ものさしで測れば、今のストライクゾーンの幻は測ることができるだろう。
測れないのは、その投じる球にうねりがあるか、キレがあるかだ。
そして、記録よりも記憶に残るのも、後者だ。
まあ、それを、サードベースに投げ込まれても困るが。
私は待っている。何でこんなくそボールを振ってしまったのかな?と首をかしげることを・・・。
そんな、うねりとキレのある誰かの21球を。