野球の記憶喪失

またお手紙がくる。もちろん宛先は私、らしい。

応えなければならないのだろう。ゲームはすでに始まっているのだから。

その手紙はこちら→http://d.hatena.ne.jp/todayt86/touch/20101101/1288639644

では、書いてみます。

貴兄の野球と時の考察、面白かったです。

僕としては、そんなことを考えず、ただ思いつく映像を並べ立てていただけなので、そういう風に考えてもらえるのかと驚くとともに嬉しいです。

そして、あなたは最後に

先生、疾走感の反対って、何ですか?

という質問をしました。実に、難しい案件ではありますが答えてみます。(あくまで野球の中での疾走感について)

疾走感の反対。その答えはズバリ、野球です。

ええ。わかっています。「はあ?」って言いたくなる気持ち。でも、一応聞いてやってください。

この疾走感から僕が考えるのは、これらのプレイは野球の限界を超えているということです。

はあ。さらに分かりにくくなりましたね。

野球というのは、スポーツですから必ずルールなど制約があります。

ストライクゾーン、ベース間は何メートルで云々。とかね。

そんな中で、やはりプレイには限界が生じます。

さらに、相手は150K近いボールを投げてきて、当てても獣のような俊敏さでそのせっかく当てたボールを取りにかかられるんですから。

そりゃ、何でも自由にというわけには、もちろんいかない。

だから、野球を純粋にみている人はあまりいない。

純粋とは、その制約の中で生まれるパターンに縛られずという意味です。

パターンと言わず、コード、イディオムと言ってもいい。

例えば、この外野フライならタッチアップできるなーとか。

でも、時に何故かそんなコードを超える瞬間があるのです。

前回、イチロー選手のレーザービームの話をしましたが、僕が注目したいのは刺されたランナーの顔です。

何とも信じられないという顔をしているんですよ。

「あってはいけないことがおきた」って感じで。

この限界を超えるのは、何も速さだけではありません。

今は中日の和田選手が、西武にいたころの話です。僕が、中学のときでしたか。

たまたまテレビで野球を見ていると、その和田は、ポーンとセカンドフライを打った。

しかし、その打球はふらふらと伸びていきライトスタンドに飛び込んだ。

その打球はまさにあり得なかったのです。僕にイメージでは計り知れなかった。そんな素敵なホームランは。

その時は、ピタッと釘づけになってにそのホームランを見ていました。

これは、別に疾走感ではない。しかし、野球の限界は超えている。

いや、野球のイメージの限界を超えていると言った方がいいのだろう。

ちょっと前の、藤川球児投手がものすごいストレートを投げていたことを覚えていますか?

明らかに浮き上がっている。

重力があるのだから、落下しないはずはないことはないのに。あれも凄い。

僕がやたらと状況説明するのは、この「すっげー。」は映像でも見てもらわなけれなれば伝わらないんじゃないかと思ったのです。

まあ、今回は長々とこの「すっげー」を説明してみました。しかし、僕はそんなことしなくてもいいんじゃないかな、なんてふと思ってしまうんですよ。

みんなで、「すっげー」「すっげー」言ってるだけでも楽しくないすか?

じゃあなんか恒例になったみたいなんで僕からも一つ質問をば。

貴兄、時と時計の違いは何ですか?(今回の内容とは全く関係ないね笑)