模倣、パクリ、または内蔵の問題   What is Inspiration?

サークルに、ちょっと変わったやつがいる。

何が変わっているかといえば、言動がやたらと偉そうだったり、そのくせ変な所で抜けたりで、よくわからない男なのだ。

ついでに、わたしも、この男に理由もなく「真面目じゃない!」と説教された記憶がある。何に対して不真面目かは今でも謎である。

でも、まあ「憎めない奴」という感じに近かったりする。

しかし、わたしにとって一番面白かったのが、その男が勉強家だということだ。やたらと部屋には本があるらしい。

そして、その男の部屋には文字通り、壁一面人生の目標的な文章がズラッと並んでいる。

その文章を、収めた写真を見たことがあるが、文章と本人とのギャップそして、そのミミズの縮んだような字も手伝って、ちょっと面白い。

でも、いいこと書いてる・・・と思ってしまったりした。で、それを、一緒に見ていた友達に言うと、「ただの本の受け売りじゃねえか!」と手厳しい一言。

ここで考えることになった。

このブログも言ってしまえば、何かの影響下に置かれている。かなり受け売りも多い。


むろん、そのまま原本のままなことはないようにしているが、自分で生み出したオリジナルなものなんてないといってよいぐらいだ。そして、やたらと引用が多い・・・・。


しかし、創造は真似からなんていうしなあ、なんて思ったりもする。

クリエイトとパクリの間には何があるのだろうか。


ここでフランスの詩人であり思想家のポール・ヴァレリーの言葉は重い。


「ほかの作品を養分にすること以上に、独創的で、自分自身であることはない。ただそれらを消化する必要がある。ライオンは同化された羊からできている。」
                        (ヴァレリー『言わないでおいたこと』東宏治訳)

剽窃家というのは、他人の養分を消化しきれなかった者の謂である。だから彼は、元の姿を認められるような作品を吐き出すのだ。つまりオリジナルテというのは、胃袋の問題でしかない」

                        (ヴァレリー『文学論』堀口大学訳)
                             

この文章もよく噛まないとお腹を壊しそうだ・・・・