ウケルー、または社会的儀礼
時代が変われば、その意味するものは異なる。また、その現れ方も異なる。
後輩に、奈良出身の男がいる。
あるとき、話をしていて飲み会の雰囲気がこっちと、地元とどう違うの?となんとなく聞いてみた。
まあ、意外といろいろあって「へぇー」と思ったけど、一番引っかかったのは
「こっちの子はすぐにうけるー!って言うじゃないですか?笑ってないのに言うなよって思いますね」だった。
「確かにねー」としか言いようがなかった。
この「ウケルー」とはなんか面白いとか笑えるという意味に近いフレーズである。
これに関して、別に関西関東などの地域の差ではないのかもしれない。
東京出身の男も同じことを言っていた。(彼に関しては、思うだけでなく実際、説教もするという)
男女関係なく、この「うけるー!」は確かによく聞く。そう言ってくれることで、冷たい空気から救われたことも度々である。
僕としては、本当に本当にありがたい。
けど、そもそもなぜこの話が引っかかったかといえば、この言葉を聞いていたけど、そんなに意識してなかったからだ。
ありがたいなんて考えたのも、今の今である。
三浦雅士氏の「身体の零度」を読んでいて、この「ウケルー」は昔の日本人の微笑みに近いのではないのかと思うようになった。
そこの文脈は、笑みは前近代の社会的なもので、笑いは近代的なものという個人的なものというのだ。
この「ウケルー」は前近代の微笑みの後継者なのではないか?
全く顔が笑ってないのに、この言葉を発するということは自分の中には、面白いなんて感情はなかったはずだ。
ではなぜこの言葉を発するか?
恐らく、場のためである。空気といってもいい。
三浦氏は「身体の零度」で、小泉八雲の「日本人の微笑み」から引いている。ここに書いてみる。
「・・・世間にたいして明るい表情を向け、人に向かってできるだけ気持ちのよい印象を与えるのもやはり世に処する定めなのである。」
同じことを言ってるように私には思える。
社会的儀礼というものは、このように私たちの生活に無意識に存在していると言ったら言い過ぎだろうか?