動くな、くたばれ、甦れ!

「自分で考えろよ!」

なんか引っかかる言葉じゃないですか。

そう、「考えろ」って言葉です。

この言葉を僕は生涯、何回言われたかわかんないけど、いまだに謎なんですよね。

あまりにでかすぎる、言葉の意味が。

僕が言われて記憶に残っているのが、初めて引っ越しバイトに入った初日のこと。

そこの引っ越しバイトは、やたらハードでした。

あるおじいさんの家の引っ越しだったんだけど、30CMの綿ぼこりとか謎の楽器(ギターかな?)とかで部屋が覆われている。

せきこみながら、きれいしてくんだけど、そんなぼくらを見ながらベランダでおじいさんは「うひゃうひゃ」言ってる。

しかも、何をどこに運べばいいのか、何から運んだらいいのか。さっぱり。

とりあえず聞いてみよう、ということで聞きまくっていたら

「自分で考えろ!」

ってじゃあこれ運ぶかとテレビを運ぶと「それじゃねえよ!」。

どうしようもないなと思って、椅子とか無駄に並び替えていました。何か整理整頓してるっぽく。

これは、恐らくなんらかルールにそって考えればわかるんだけど、そのルールがわかんないときつい。

まわりの真似すればいいんだけど、真似をするほど余裕がない。

いやー。今思い返してもきつかったですね。

で、この場合は、「このルールで考えろ」の考えろ。

あと、どんな種類の考えるがあるんだろうか。

もしや、必ず考えるってそれぞれ何らかのルールが存在するんじゃないだろうか。

言葉と同じように。

みんながみんな、違う考えるをしたら何もまとまらないもんね。

考えるというのも学ぶものなのかもしれない。

とすれば「自分で考えろ」にはいくつかの意味があると考えられる。

1、少し文脈をみてからにしろ。(ルールに合わせろ)or(そのルールしってるでしょ?)

2、そのルールを早く覚えろ。

3、周りと同じルールでばっかり考えるな。


この中で異質なのが3。

自分なりに考えることなんてできるのかしら。

自分にしかわからないルールで考えても相手に伝わるのだろうか。

相手に伝わらなければ、自分勝手。妄想・・・・。

伝われば、ユニーク。

えっ。自分にしかわからないルールって何だ?

とりあえず、学ぶものと仮定したなら、この共同体ではない共同体のルール。

ルールってみんながうなずかないとルールにはならない。

うなずかせ方はそれぞれでも、うなずかなければいけない何かがあったのは間違いない。

その何かが問題で、別のルールを採用してる人にもその何かがあれば伝わる。うなずく。

その何かって何だろう?

あー。いままで書いてきたのは、考えることではなくて考え方についてだったような気がする。

うーん。

ではまた。