一人で生きる。

何か前に「自分で考えること」について書いてみた。(「動くな、くたばれ、甦れ」を参照あれ)

今日はその続き。

途中から抜粋してみる。

「自分で考えろ」にはいくつかの意味があると考えられる。

1、少し文脈をみてからにしろ。(ルールに合わせろ)or(そのルールしってるでしょ?)

2、そのルールを早く覚えろ。

3、周りと同じルールでばっかり考えるな。

この部分から、もう一度考えてみる。

やはり異質なのは3番目である。

1,2はルールに合わせろと言っているのに3は外れろと言っている。

「自分で考えろ」の真骨頂はここにあると言ってみたい。

なんで、外れることが大事なのか。

みんながいってるから正しい病を克服し、思考の惰性をなくすためである。

それは、みんなが言ってること、やっているに対して反対しろということではない。

むしろ、多くの人が採択したモノはそれだけの理由がある。

別に、選択の良否はここでは問題ではない。

問題は、立ち止まってから考えることなのだ。

何故立ち止まることが重要なのか。

これは、モデルケースで考えよう。

あなたは、道すがらチョコドーナッツとリンゴパイ(青森産)の1個だけ選んでって言われた。

「何でもいいや」と思い、前のおじさんが選んだリンゴパイを食べるより、えい!リンゴパイだ!との決意とともに食

べたリンゴパイのほうがおいしい気がしませんか?

いや、待ってくれ。チョコドーナッツのほうがおいしいかもしれない。

例がわかりにくくて、すまない。

あなたは、ドライバーだ。

別に左折しようが、右折だろうが構わない。ただ、一時停止のマークは無視してはいけない。

前の車が行ってるから、赤でもいいんだなんてことは、マナー違反である。

そりゃあ、いちいち停車してられない時だってあるだろうし、一本道で停車していたらスムーズにはいかない。

しかし、止まるべくところで止まらないと見るものが見えない。

いや、待ってくれ。見たから何なんだ?

例がわかりにくくて本当にすまない。

あー。わかった。

立ち止まることの効用は、すぐに謝れることだって今気がついた。