マーロウから遠く離れて。

驚いた。先日、mixiニュースで時間銀行というのが紹介されたらしい。時間銀行とは、ある考え方のようなものだ。

時間銀行とはこうだ。毎日いくらかのお金が入ってくるが、その口座は毎日変わるんで、日付が変われば未使用のお金は使えなくなるという状況があったとする。

そこで、そのお金使わないのはもったいないよね?と問いかける。

後はお分かりだろう。


時間も同じなんだよ、とこうくるわけである。

ここまで紹介して言いづらいが、僕はオリジナルを見ていない。
違ったらすいません。

時間銀行とは、とりあえずこういう趣旨らしい。(それを教えてくれた友達はなぜか誇らしげにそれを語ってきた)

しかし、僕にはこれを採用しようとは露ほども思わなかった。(もちろん友達の誇らしげな語り口への嫌悪もある)

これには、一回半ひねりがないからだ。

この一回半ひねりと言う言葉は平川克美氏から拝借した。
平川氏の使い方とは異なるかもしれないが、なんかぴったりな気がするので使わせていただきたい。

前にベンジャミンの「時は金なり」ということをこっそり書いたが、ベンジャミンの言わんとしていたことには労働が挟まっていたのだと思うのだ。

つまり、「時は金なり」とは、「時間があったら働いて金稼ごう」ということであると。

「時間は金だ」ではなくてね。

イコールではなく、何かを経由して求めるものが手には入る構図である。

僕が興味を覚えるのは、この経由にこそである。

この経由は、レイモンドチャンドラーだからだ。

ええ。わかっています。今あなたが画面の前で怪訝な顔をしているのは。ええ。

レイモンドチャンドラーの代表作「ロンググットバイ」はまさにこの経由の物語である。

主人公マーロウにはある友人がいるが、その友人は死んでしまう。その友人の死が気にかかりながら、別の事件を追いその真相を掴んだとき、そこにその生きていた友人を発見する。しかし、テリーはテリーではなくなっている。

村上春樹氏はこれをfind and seekと呼んでいる。

求めたものは、手に入れたときにはすでに別のものになっている。と

ここで重要なものは別と言っても、何になるかはわからないということである。

わからないと言うのは、実に曖昧で掴みづらい。

しかし、このわからなさこそになにかがあるのである。

それを掴む経由にこそ、面白さがあるのだと。

だから、何かモノを勧められるときに「こんなメリットがありますよー。」といってもなんか食指が動かない。

それは、その人の経由の結果掴んだメリットであるからだ。

そうではなくて、経由をこそ語ってほしい。

一回半ひねりのひねっている瞬間をこそ語ってほしいのです。

そのひねり方の運動こそおもしろいんだから。


ドラクエだって、ラスボスの存在は最初からわからないでしょ?(ラスボスがわかるシリーズがあったらごめんなさい)

最初からラスボスの存在がちらつかされたら、面白いのかどうかはちょっとわからない。

その現在進行形で動いている物語に何かは宿る。なんてね。

え?なんでお前にそんなことが分かるのか?だって。それは、「ロンググットバイ」を読めばわかるでしょ。

なんか遠くまで来ましたが、この辺で。