電子書籍について
電子書籍が出版を変えると言われている。
どうでもイイやって言う人もいるかもしれない。電子だって読まないよというひともいるだろう。
しかし、新しいものである。広まれば、変えないわけがない。パソコンが私たちの生活そのものすら変えてしまったように。
それまでの紙媒体ではできなかった、音楽をつけたり、デザインも今まではできなかったことができるようになる。
そして、著者と読者がダイレクトにつながることができる。
このダイレクトにつながる面白さは、TWITTERの高橋源一郎の「午前0時の小説ラジオ」が人気を博していることからも楽しみである。
そして、世界に発信できる。今までは海外の作品を手にするのは書店の場合、いささか大変なことであった。
AMAZONは、それをかなり変えてくれたが、さらに手に入れやすくなる。
それに、海外をマーケットとして考えることができる。
なにより一番大きいのは、場所をとらなくなることだ。今までの本棚のスペースはがら空きになる。
また、本を買うときにネックになる、重い、かさばるという問題は一挙に改善される。これは大きい。
なんとなく欲しいから買うことができるのだ。そう積読の無限化である。どこまで積むことができるのか。
これはありがたい。理論上は、図書館を持ち運ぶことだって夢ではないらしい。
しかし、この電子書籍は違う意味で出版界を変えようとしているのではないかと思っている。
それは、本のコンテンツ化である。
ついに本が、エンターテインメントの土俵にひきずり出されたのである。
今までだって、本を読むか、テレビを見るか、インターネットをするのかの選択権は消費者が持っていた。
しかし、本を読むというのはある姿勢を要する。
だって、「ゲームでもすっか―。」と「本でも読もう」は同じものではないでしょ。
え?同じ?まあ、いいや。
友達から「最近本読んでんだー!」と聞いた時には、他にはない「おお。」という響きがあった。
「本」という響きには、なんか「教養」とか「学識」に近いムードを持っているのだ。
これは完全に失われてしまう。
そして、IPHONEで読む場合、アプリのゲーム、メールと同等の画面で勝負しなければいけない。
並列に並ばざるを得ない。
「なんだ、本ってすごそうだけど、やっぱつまんないじゃん。」と正面から言われる可能性があるのだ。
もはや、本のライバルは本ではない。他のコンテンツになってしまうのだ。
その時、本がどのような変化をするのか私に想像できるのかしら。
まず、わかりやすさ、楽しいが最優先になる。どんどん分かりやすくなる。
なにより、潜在的読者に手にとってもらうことが優先されるから。
そして、よくわからないものはなくなってくる。そこに面白さがあったとしても。
別に、作る側だって読者をなめているわけではないだろう。
しかし、窓口を狭めるわけにはいかない。
だって、「これがわかるためには、あれを読んでこれをよんでないとなかなかおもしろさはわからないよ」とか「ラストがよくわからない」ゲームはする気にはならないだろう。
そして中には、そのわかりやすさという病を乗り越えた名作も、出てくるにちがいない。
まあ、この仮説は電子書籍のシェアが大部分を占めた場合の話であるが。しかも、ちょっと極端かも。
そして広まるためには、本の絶対的な量が電子化されなければいけないというインフラ面での課題も如実に現れるだろう。
だけれども、IPODが発売されたのは私が高校1、2年立ったと記憶しているが、便利だなと思ってはいたが、ここまで広まるとは考えていなかった。もちろん、並列に並べるわけにはいかない。
しかし、今広がるスピードは半端なものではない。
そして、私は非常に期待している。
本というジャンルが脅かされる時、なにが起こり、なにが変わらないかが。
変わらなければ見えないこともあるのだろうか?
その答えが、どう出るかはわからないし、わかっていては困る。
恐らく今までの小論は全くの見当違いなのだ。分かっている。
未来予測なんて当てることができるのは、パウル君くらいだ。
なまじ、当てないほうがいい。
蛸でさえ、一部から反感を買っているのだ。もし、パウル君が人間だったら?考えたくもない。
しかし予報は蛸に任すことができても、変化を担うのは私達だ。
ふと、気づいたとき、私たちは何を得て、何を失うのか?
そんなことはいってられない。もう変化は始まっているのだから。