吉行淳之介「手品師」について Ⅰ
この小説は、倉田という小説家が語り手であるが、語られているのは川井という少年である。
その筋は、ある酒場で、小説家倉田は、ファンであるという少年と知り合い、嫌悪感を抱きながらも、手品などをみせられる仲になる。
少年は、その酒場の少女に惚れているが、倉田は偶然にその少女がある中年男のおめかけさんであることを知る。
そのことを知った少年は、自殺同然の手品を少女と倉田の前で披露するというものである。
この小説は、少年の自意識が問題である。
倉田へあてた手紙の中で川井は
「僕は自分の気持の表現法が下手です。」
「自分をもてあますことがしばしばあります。」と述べている。
自意識とは、自分のことをどう意識するかということだ。
しかし、自分の思っている自分と他人から聞く自分は違うときがある。
ということは、自分の考える自己、自意識は他人に自分をどう思ってほしい自己といったほうがいいかもしれない。
そして、この少年はこの自分と他人の考える川井像の差に苦しんでいるように見える。
その結果、自分が見せたい自己に固執して周りをうんざりさせているのだ。
そのことは、倉田を幾度も不愉快にさせていることから、充分想像できうる。
上の告白からもわかるように、少女のことを含めうまくいかないことを、自分のせいだと考えている。
気持ちの表現が下手、自分をもてあますということから、そのもどかしさは他人でなく自分に向けられている。
川井は本当の自分を表現できないと考えているのだ。それが、彼のコンプレックスともなっている。
しかし、本当の川井などは存在しないのだ。他人にとっては、うまく表現できない川井こそが川井なのだから。
川井の本当のもどかしさは、他人の立場に立てないことにあるのだ。
それは、周りの川井像を理解できないことであり、うんざりさせていることに気づけないことである。
倉田へ向けた別に手紙の中で
「まわりはみんなうまくやっているのに、自分だけが取り残されている苛立たしさがあります。」
と書いている。まわりはみんなうまくやっていると書いているがそんなことはない、一人一人悩みはあるはずだ。
しかし、彼には見えない。だから、彼は悩んでいるのだ。
他人のことが考えられなくて、自分のことで悩むのはなんととなくアイロニーである。
そして、そのアイロニーを抱えているのは彼一人ではない。